自然流で生きる修行

自然の流れを大事にしながら、自分らしく、自然体で生きれるための学び

8つのウソ by ソース ②

僕も社会人に入って、かなりストレスを感じやすい方で、円形脱毛症、帯状発疹、慢性的な鬱な感じ、に陥りました。

 

自分本来の想いや感覚などを封じ込め、がんばっていた結果なんだと思います。

 

違う言い方をすると、現代社会の常識に縛らせ過ぎていて、それに過剰適応しようとしていた結果だと言えると思います。

 

ストレスを慢性的に感じる人は、以下の社会常識に縛られていないかチェックしてみてください。

 

無意識に縛られているもの(観念)を意識したところから、呪縛からの離脱は始まります。

 

1番目の「責任のウソ」はここを参照してください。

 

以下、「間違った社会通念」と「新しい考え方」の対比で書いていきますね。

 

2.やる気のウソ

(間違った社会通念)

成果を出すにはヤル気をだすことが大切だ

★新しい考え方

無理に自分にヤル気を起こさせようと努力することはやめよう。その代わりに大好きなことを始めよう。好きなことをしていれば、自然に全てがうまくいく。

 

3.能力のウソ

(間違った社会通念)

「自分の能力を生かし、習得した技術を活用すれば、経済力や社会的地位、名声など、社会的成功を得られる」

★新しい考え方

「適性があると言われたからといって、それをする必要もなければ、好きになる必要もない。しかし、適性がなくてもワクワクすることなら、やったほうがよい」

(社会的な成功を獲得することよりも、こちらの方が本当の豊かな人生が送れるという考え方です)

 

4.上手のウソ

(間違った社会通念)

下手なことに時間を割くのは意味がない

★新しい考え方

下手でも心を燃やせるものなら、ぜったいにやりつづけよう

(そちらの方が精神的な豊かな時が過ごせ、結果も自然とあるべき結果につながっていく)

 

5.決断のウソ

(間違った社会通念)

さっさと決断しないのはよくない。効率が悪いし、生産性が低く、グズだ

★新しい考え方

私たちにとって最善の行為は、決断をグズグズ先に延ばすことだ

(顕在意識より潜在意識が自然と決断してくれる。慌てず、決断するグッドタイミングを待ちなさい)

 

6.妥協のウソ

(間違った社会通念)

人生は妥協がつきものだ。二兎を追うものは一兎も得ず

★新しい考え方

「自分のやりたいことを全部やるのは可能だ。むしろ、やりたいことはすべてやるべきだ。真に豊かな人生を送っている人たちは、やりたいことをすべてやれる生き方をしている」

 

7.優先順位のウソ

(間違った社会通念)

やることには優先順位をつけてやるべきである

★新しい考え方

自分の夢に優先順位をつけるな

(夢を一つでも後回しにする必要はない。得てして最も大事な夢が後回しにされるので気づいた時は時間がなくなっているよ)

 

8.現実的になれというウソ

(間違った社会通念)

「いつまで夢を追っているんだ。もっと現実的になりなさい」

★新しい考え方

「現実性がないと批判されても、自分の夢をあきらめる必要はない。実在する現実はただ一つ。あなたが自分で創り上げる現実です」

(これ、深い!すぐには理解できないと思う)

 

社会通念は「それが正しい」ことだと思い込んでいます。

たぶん少し前の時代には有効だったんだと思います。

右肩上がりの大量生産の時代は、産業界は何よりも「効率」が大事でした。

早くたくさんつくれば、売れたからです。

そのために「標準化」「均一化」も有効な手段でした。

学校教育もそのため金太郎あめのように「均一的な人材」を育つように展開しました。

でも現在は「モノがあふれた」社会になりました。

これからは置き去りにしてきた人間の心や自然を取り戻す生き方をしなければならないのです。

しかし、前の時代の社会通念にいまだ支配されています。

一人ひとりが意識して、ここから脱却していくことが個人にとっても、社会にとっても大切なことだと思っています。

 

ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。

ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。

 

 

強運のつかみ方

僕は神奈川県の大船に住んでいます。

今日は天気がよかったので、鎌倉まで歩いくことにしました。

途中、富士山がきれいに見えました。

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昨日も鎌倉に行ったのですが、鎌倉駅前で見た本がどうも気になって、健康のために歩いて買いにいくことにしました。

その本は、他の本屋でも「バッ」と目を引くので気になっていたのですが、

タイトルがどうも気に入らず知らんぷりしていました。

橋本京明さんが書いた「強運のつかみ方」という本です。

 

で、買っちゃいました。

その本はタイトルの通り、運気のあげ方に関して書いてある本です。

その冒頭に次のようなことが書いてありました。

 

『強運の運気を保ちたいなら、そのベースに「自然のリズム」があることを認識しましょう。自然のリズムと同調できたとき、あなたの運気も上がります。』

 

自然のリズムとは、1日の朝から夜までの流れや四季の移り変わり、人間のバイオリズムまで含めた自然界全体の流れのことです。

 

「強運を持つ」と表現すると、ちょっと違うニュアンスになってしまいますが、「

いい運気で生きる」ということは、自然で豊かな生き方だと思っています。

なので、やはり自然のリズムに敏感になるということは、豊かな生活にかなり貢献することになるでしょう。

 

自分の内面のことだけでなく、運や自然のリズムのような目に見えない感覚をもっと大事にしていきたいと思った本日でした。

 

ついでに、その本と一緒に「日本の七十二候を楽しむ」という本の買っちゃいました。季節の流れにより敏感になろうと思って。

(ついお手軽なやり方に走ってしまうわたし。。)

 

  

8つのウソ by ソース

「ソース」の本の中で、8つのウソというのが書かれています。

「ウソ」というのは、「間違った社会通念」という意味です。

 

一般的には「こうすべきだ」と言われていることが、

実は人間の持って生まれた豊かさや可能性を奪っているということです。

 

ウソは8つありますが、今日は最初の「責任のウソ」を解説します。

私流の説明なので、本に書かれていることがきちんと知りたい方は本を読んでくださいね。

 

「責任のウソ」は、ソースの中核となる考え方です。

 

「責任」に関して、間違った社会通念は次のようなものです。

「責任とは、家族や会社や社会が期待することをすることだ」

 

何も間違っていないように見えますのよね。

 

「ソース」は、これは本当の責任にあり方ではないとします。

 

「ソース」では、

「人が取るべき行動はただひとつ。

自分が心からしたいことをすることである。

それが人生でもっとも責任ある行動であり、

その人が負う最高の責任である」

 

これです。

 

つまり、人間はあるミッションを果たすために、この世に生まれてきており、

そのミッションを果たすことに関係することに触れると「ワクワク」するという装置を内在しているという考え方です。

 

そのために「ワクワク」するという現象があるのです。

 

だから「ワクワク」することをやらないというのは、責任放棄になります。

私たちは今生の責任を果たすために「ワクワク」することをやらねばならないのです。

 

なのに、現代社会の要請(誰が支配者かはわかりませんが)によって、「働いて、お金を稼いで生きる」ことが最も大事な責任のように思わせられているのです。

 

ですから「こうすべき」という社会常識は捨てて、「ワクワク」することをやって生きましょう、というのが「ソース」のメッセージです。

 

ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。

ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。

 

 

Natural Live 6つの習慣

 

自然体で生きるには、色々学んだ結果として、次の6つの実践が有効ではないかと考えています。

 

1.間違った社会常識に縛られていることに気づく

まずは入り口。

今頑張って努力しようという根底にある考え方自身が「間違っている」ということに気づくことです。

多くの人の価値観は、親の教えや社会の要請によって成り立っています。

現在の多くの人が持っている価値観が若干古いんです。

20世紀の時の価値観です。

「社会的に成功することが人生で目指すところだ」とか

「努力しないと食えなくなる」などなど。

現在、必ずしもそうではありません。

もともとそうでなかったのかもしれませんが。

そういった当たり前の観念に縛られていること自体が、苦しみやストレスを生んでいることをまず気づくことが入口です。

 

あとは説明は後日に回し、並べていきますね。

 

2.「ワクワク」を生きる時間を増やす

3.人生の流れを信じる

4.言霊を大事にする

5.恐れやストレスをリリースする手法を持つ

6.身体の知恵を使う

 

です。

私も小さいころから優等生で、社会でうまく適応しようとして生きてきました。

でもだんだん本来の自分を押さえ込まないと無理だと感じてきて、この社会で生きながらも、もっと自由に自分らしくなる方法・考え方はないかと学んできました。

その中で、最も自分にとって有効に効いたと感じるのが上記です。

まだまだ、完全な自分になり、自由になる修行中ですが、自分のふりかえりのためにもそれぞれをまとめていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

Natural Live(ナチュラルライブ)

このブログを書くためのコンセプトワードをつくりました。

 

それが「Natural Live」(ナチュラルライブ)です。

ブログの標題の「自然流・本音系の生き方」を一言で表現しただけです。

だから、日本語の方の説明をしていきます。

 

「自然流」・・・「じねんりゅう」と読みます。

「自然=じねん」

この言葉、もともと仏教用語です。

「自ずから、然り(しかり)」という意味です。

「おのずから、そうなる」ということですね。

反対後は、「無理にそうする」かな。

世の中のことは、すべて自然の理(原則)や宇宙の法則によって、動いている。

だから、たかが人間の作為でやっても、やれることの限界がある。

それに時々、無理がある。

だから、人にとって最もスムーズな生き方は、「自然の流れ」にのるということ。

その考え方にもとづくいき方を「自然流」と名付けてみました。

 

次「本音系」ね。

とはいえ、いろんな個性を持った個人が存在しているのも事実。

流れに身を任せるといって、道に寝ころんでいるだけでは人生は展開しない。

というより「いのち」がそうはさせない。

「いのち」はほおっておいても、「生きよう」とする。

そして、それぞれの「いのち」は、存在意義を持っており、それに向かって生を展開する。

その人独自の「いのち」の本当の音色が「本音」。

通常の意識は、親の要求や社会の要請、あるいはトラウマなどにより、必ずしも本当の音色を出せていない。

できるだけ体の奥から奏でられる「本音」に耳を傾けながら、生きていきましょうというのが「本音系」。

最後の「系」はあまり意味がない。つけてみたかっただけ。

なんか思いついたら意味を持たせたいと思います。

 

そんな自然の理を大事にすると同時に、自分のあるがままの本音も大事にする。

この2つをうまく両立させる生き方を「ナチュラルライブ」とした。

「自然体で生きる」って言ってもいいんだけどね。

 

あと「ライフ」でなくて、「ライブ」なのは、「日々生成流転する生(なま)の生」というのを表現したかった。

どういう人生を歩んでいくかというより、いまここの生の生にどれだけフォーカスして生きれるか、そんな意味を含ませてみました。

 

 

 

 

井上裕之トークライブ

昨日、フォレスト出版主催の井上裕之さんのトークライブ「価値ある生き方をするたった一つの方法」に行ってきました。

井上裕之さんは色々本を出されているベストセラー作家です。

私は1冊も読んだことがないのですが、どんなことを話されるのかなと思って行ってきました。

4時間の講演会だったのですが、前半の話を聞いて、自分とはちょい波長が合わなかったので、帰りました。

「自然流・本音系」を標榜する私としましては、ちょっと「濃い」というか「熱い」という感じでした。マーフィーの成功哲学系のテイストですかね。

*1

 

前半の井上さんのお話を次のようなものでした。

 

自分にとって「価値ある生き方」をイメージできていなければ、不幸を引き寄せているに等しい。

人は「眼前にあるメリット(今は食べよう、今は楽しようなど)に弱い」し、「労力を伴うことをしたがらない」傾向が強いため、つい自分の価値ある生き方に外れた時間の過ごした方をしてします。

みなさんのほとんどは不幸を引き寄せることをしています。

みなさんは以下の考え方に従って、行動してませんか?

◆通常の人の行動の背景にある「不幸を引き寄せる7つの考え方」

1.苦労しなければ成功しない

わざわざ苦労しなければならないと思っている。苦労しなくてもいい。大変な状況があるのは、ただその状況があるので、そこから何を学び、どうしたらいいか考えたらいいだけだから。

2.何かを得るためには、何かを捨てなさい。

あきらめて幸せなことはない。

3.目標達成することが大切だ。

目標ありきの人生ではだめ。自分の望む価値・目的にもとづいたものでないと、目標達成した時点で行き先を失ってしまう。

4.ありのままでいい。

ありのままでは成長しない。

5.人生はあきらめが肝腎だ。

あきらめることによって、どんどんあきらめ癖がついてくる。

6.時間に余裕を持ちなさい。

時間とはエネルギーの集中度および充実感が大切。余裕をつくることではなく、今のこの時間にどれだけ集中できるか。

7.同じレベルの人と付き合いなさい。

人間関係も自分が成長するための関係を持つべきであり、ただ安心するだけの関係では意味がない。

 

自分の欲求と価値観が合うところで人生は生きていくべき。人間はほとんど他人の価値観を生きているので、それではいい人生は送れない。

自分にとっての価値・目的をあきらかにし、自分の行動をしていきましょう。

価値観は自分の嘆き、怒りの裏にあることが多いので、ここをヒントにみつけていくといいでしょう。

 

おおまかに言うと、こういう内容でした。

私の学びとしては「やっぱりできるだけ、安易なダラダラの行動の選択をせずに、自分のミッションにしたがった選択をしよう」ということでした。

井上さん、ありがとうございました。

井上裕之氏の著書をチェックしましょう! - 井上裕之氏の著書

 

*1:自然流・本音系とは、私の造語で、できるだけ自然の法則にしたがった生き方、自分の本当の音色(本音)に沿った生き方のことを指します。ちなみにじねんりゅうと読みます

戦争を避けるための「個性化の道程」

朝のNHK「アンと花子」でも、社会全体が戦争に向かい、それに多くの人がのっかり、親しい人の死や大事なものの破壊に見舞われてしまうという不幸が描かれています。

社会の流れというものは、人間のまともな感性を失わせてしまう怖いものです。

でも、どうしても強い流れが生じた場合、そこに多くの人間はなびいてしまいます。

現在でも世界全体で「ナショナリズム」の風潮が高まっており、下手すれば私たちもこのナショナリズムにのっかってしまって、戦争への流れをつくりだすことに加担してしまうかもしれません。

それを回避するための考え方を高島康司さんがWEB上で書かれています。

「望みなき時代の幸福論」という本も出されています。

WEBでは、ナショナリズムへと向かわない鍵として「個性化の道程を歩む」ということを言われています。

 

以下にWEBからの抜粋を載せます。

 

「私たち個々の人間は、明確な理由があって生まれてきているはずです。そのひとつは、個人としての意識を発達させ、一個の個性を持つ人間としてユニークに生きるということにほかなりません。自分固有の魂のユニークさに気づくことこそ、覚醒であり発見なのです。これに気づくためには、個人としての自分の存在を自覚することがまず大切です。」

 

 「ところが、ナショナリズムのような集団主義は、個人を集団に埋没させ、個人である意識を完全に奪ってしまいます。これは魂の成長にとって間違いなくマイナスです。もちろんこれは、ナショナリズムだけではありません。個人を埋没させるあらゆる集団主義はマイナスなのです。」

 

「私たちが生まれてきた目的のひとつは、本来の自分の姿、つまり『オーバーソウル』を発見し、それに出会うことにあります。これこそ自己の神秘性の発見であり、究極の幸福感の源泉なのです。 この出会いは、私たちがある道を進むことで自然に実現します。その道とは『個性化の過程』を私たちが真摯に生きることです。」

 

「『個性化の過程』を生きていると、自分の人生を軌道修正し、本来の自分の個性ある生き方を取り戻すことが要求されるのです。もちろんはじめは戸惑いますが、この経験で手に入れられるのは、魂の自由と幸福です。ですから、自分が変化することを絶対に恐れてはなりません。変化こそ『個性化の過程』であり、私たちを幸福と自由へといざなう導きの手なのです。」

 

「オーバーソウル」など耳慣れない言葉があり、ちょっとスピリチャル色が強そうに感じますが、この側面でも世界を見ないと見えないと高島さんも言っています。

全文は以下にあります。読んでみてください。

舩井幸雄.com(船井幸雄.com)|ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測(高島康司先生)

会社や社会の「変だな」と感じる要求に過度に従わず、自分の本質が輝くような生き方を目指して、少しづつでも意識・行動を変えていきましょう。